昭和50年9月10日  月次祭 ●②x2 ⑥  大坪かよこ




 ●② 私は、今朝方からこういうようなお夢を頂きました。
あるテレビ局で私がご飯をいただいておる場面を、テレビに、の局から写しに来ておるところでした。
それをまぁ、あっちこっちの私の知っとるいろんな先生方が、そのテレビの場面に自分も映ろうと、私ご飯を食べよっとこを、前をちょろちょろこうやって、その出てくるんですね、そのテレビに映ろうと思って、ほいでテレビ局の人が、もうそんなにちょろちょろしてもろうてはもう困りますと言うて他の人を、怒っておるとこ。
そして私がご飯をいただいておる、それこそ大写しの、写真を私がその写してもらっておるのに私がそれを見ておるという感じで、お菜は、いろいろおご馳走が沢山あるんです。
そのなかの、ぶりの照り焼き、ぶりの照り焼きをこうつつきながら、私が食事をしておるところでございました。
●② または、もう一つは、あの映画女優に山本富士子さんという人がありますね。
まぁ当時日本一の美女だといわれた人でございます。
その、山本富士子さんが、も、大変に酩酊して私のほうへやって来ておるところでした。
ほいで一番下の孫の恵城が、その、酔態ですね、酔うておるその山本富士子さんとこへよちよち歩きに、その行って、何かやったら、可愛い可愛いと言うてその恵城を抱き上げて、こう抱きしめておるところを頂きました。
そのことといい、そのまた、私がままになっておる状態を、大きく写そうとしておる、そのお夢といい、あれを思いこれを思い、何か大変合楽の上に神様が、いわば大きなおかげを下さろうとする働きを感ぜずにはおられません。
この頃からの日々のご理解を頂きましても、やはりそれを感じます。
もう一週間も前だった、一週間も十日も前だったでしょうか、南海の海に、の深海に住むというこんなに大きな貝です、もう、ヒスイより緑色です。
もう見事にそれを磨きあげた貝をあちらのほうへ旅行なさった方が、お土産に買って来て下さってあります。
もう、そりゃ見事なこのもう真っ青な貝でもね、それもほんとにヒスイのようなしとります。
そのお取り次をさせて頂いとるときに、神様が、大物、あの貝のお知らせは、信者の事を表現して下さる、本は金光教神愛会と、ここの前身です。
椛目の時代は申しておりました。
ですから、蛤のお知らせを頂きますと、それこそなんとも言えん味わいの、ご信者さんがでけてくる、集まって来る。
タニシなんかの貝ね、タニシという貝がありましょう、田んぼへ、タニシの貝なんかのもう非常に辛抱強い信者が集まってくると。
それから、あの蜆貝なんかの、ね、これは大したことはないけれども、これが沢山集めれば、よい味が出るといったようなね、お知らせをいただいておる。
こんな大きなあの法螺貝ちゅうのがありますね、こりゃもう口だけはもう、大抵大きなことを言う、というような人が集まってくるときには、法螺貝のお知らせを頂きよりました。
けどもこりゃやっぱなんです、神様が、そんそれがいけないということじゃないです。
やっぱり神様が、そうような口だけ使いなさいますからね。
お話の上手な人は、その人の口だけを使われる。
ね、あれこそ実意丁寧、いわばタニシのような信心をしておる人もある。辛抱強い信心をしておる人もある。
まあ、いうならば、鯛?、何と申しましょうかね、枯れ木の山のまあ、賑わいと申しますが、ね、そういう程度の信者をまぁ、蜆貝といったようなものじゃ無いでしょうか。
せっかくお互い、合楽にこうして御神縁を頂いておられるのですから、ね、やはりひとかどの信者にお取立てを頂いて、やはりひとかどの、おかげも力も、まぁ、頂きたいもんだと思います。
先日も今申しますような、大きなこんな貝のお供えを頂いたときにです、ね、これからは大物が集まってくると、いうお知らせを頂きました。
そしたらその日、ちょうどもとの代議士でありましたね、あの、久留米の、なんとかいってました。
楢崎さんですか、楢橋さんですかね、わたるさんの息子さんの奥さんが、ご主人のことについてお参りになった。
やはりちょっと印を神様が見せて下さるんですね。
その時に私は、お願い、神様にお願いをさせて頂きました大物を集めて下さるということも、これからの合楽が示現されていくことのために、いよいよそれは大事でありますけれども、神様、どうぞ、いままで合楽に御神縁を頂いておる信者の上に、どうぞ一人一人が、大物になれるような信心を頂かせて下さい、という願いをさせて頂きました。
その願いと、今朝から頂いたお夢とを思わせて頂いてです、ね、私がままになるとということ、中央にいうならば、取り上げられて、テレビんでもひとつ写そうかというくらいな、私がままになっておる様子、いうならば、ね、私が食事をしておるということは、私がままになっておるということ、そんなら私がままになるということはどういうことか、もちろん沢山な人が集まり、沢山な人が助からなければなりません。
けれども集まった、助かったという程度ではいけん。
一人一人が、本当の意味においてままにならなければならない。しかも、大きくままにならなければいけない。
それこそ、ぶりの照り焼きでままになるようなおかげ、ぶりというのは、ぶりぶりとしたおかげということでしょう。照り焼きというのは照り輝くようなということでしょう。
と私は今朝から思うた。
ね、最近神様が教えて下さることはです、ね、私どもがその気になっていよいよ神様が下さろうとするなら、頂こうという姿勢を創り示していくならば、ね、神様のほうがおかげを下さろうとする、いうならばです、今まではいくら願うても、願うてもおかげにならなかったことでもです、ね、おかげになるというような兆しが合楽に見えております。
ね、だからそういう働きを受けて答えるという信心が、大事でございます。
ほう、神様が下さるならば、ほら、ありがたいこっちゃ、頂だこうじゃこてというだけではいけない。ね、その姿勢を今度のおかげの泉は、もう、皆さんごらんになったでしょうか。
不思議にこの頃おかげの泉の売れ行きが悪くなった、この頃どんなふうですか、ってこの頃、私事務所に聞きましたら、二百部余っとる、ち、そりゃどういうわけですか、いや、遠方送りは全部間違いなく送っとるけれどもね、合楽の、こしてお参りをして来ておるご信者さんが、この頃買わんごとなった。
はら、こんどん月次祭だん、皆ひとつ配ってから、ね、こりゃもう合楽の信者である限り、どうでもあの、おかげの泉は繰り返し読ませて頂かなければならんと同時に、あれはまあいうならば、家の宝としてでも、ような思いで保存して置かなければいけないものだ。
繰り返し繰り返し、読まして頂いて、遠隔地の人は、あのおかげの泉でおかげを頂いておるのだ。
皆さんもまだ、ね、もうこう毎日、いわばお参りしてお話を頂いておる、月次祭たんびんに、先生の話は聞いておる。なるほどあのおかげの泉は、朝一日分のご理解を収録してあるのでございます。
今月もそげんでしたけれども、末永先生が、今私がお話をさしておる、ね、合楽におかげの様相が変わってくる、大きく変わってくるということのお知らせを頂いた日のご理解を、ね、これをもう一つ添えさせて頂いたらどうだろうかというので、その日のご理解をまた一日分、二日分だから、のご理解が今度のおかげの泉には、出ております。
その中にお読みいただけば分かりますように、神様が下さろうというのですから、私共、その気にならなければいけんです。
最近不思議な傾向がありますことは、最近新しくお参りになる方達が、で、ほとんど朝参りは、ここがいっぱいです。
そして今まで合楽で熱心に信心をしておった朝参り組みの方が、非常に少なくなっておるという傾向があります。
おかしいでしょう。ね、朝参りとか信心とかいうものは始めたらやめられないというのが大体本当なんです。
ね、それが信心が分かっていきよるのです。
それが信心が身についていっておる印なんです。
その中にも、お話を致しておりますように、ね、久留米の初代のお話しを致しております。
大変なお徳を受けられた先生ですから、沢山な人が助かりましたけれども、次から次と大きな御用をなさる、御本部の、ご建築などにお使いになったことだろうと思うですけれども、当時のお金で、八千円という金の借金が、久留米教会にあった。
長年その利払いだけでやっとであった。
●⑥ ある元旦の式を終わられて、裏に下がられて、おとそを頂かれる。
そしてふっと先生の頭の中によぎったもの、心の中に感じられたものは、ね、今年もまた借金払いで終わらなければならんかな、という思いが掠めた。人間ですからね、どん、え、働いても働いても利払いだけでしかできんのかなというような思いなんです。
途端にね、頭上に、それこそ幽冥からの声があったというふうに言われております。
いわゆる頭上に神様のお声があった、まさしく二代金光様、四神様のお声であった。
石橋松次郎に八百表の徳を授ける、というお知らせであった。
ビックリされた、ね、それこそ持っておる杯を取り落とさんばかりの、驚かれた。
ね、神様が八百表の徳を授けると仰せられる。それから奮い立たれた。よし、神様が下さるなら、どうでも頂こうというわけであります。
ね、それから、四神様の御神徳を九州中の自分の出社または、小倉関係の出社に四神様の御神徳を説いて回られたということでございます。
その年、久留米の大商人と言われるような人達が次々と御神縁を頂くことになり、また、不思議なおかげを次々と頂きまして、長年利払いだけで、しかできなかったその借金が、一年足らずの間に借金が終わったということでございます。
ね、その借金が終わったというだけなら大したことはないですね。
八千円の借金が払いがでけたということだけなら、はあ、それも大したおかげですね、今までどうにもできなかったのが、一年足らずでおかげになったというのですから、けどもそれは大したことはない、その、八百表の徳が、大したものなんです。
こうやって合楽がただ今日おかげを受けておるのも、やはり石橋先生のそういう御神徳の流れを頂いての今日であることを思います。
ね、神様が八千円のおかげを頂かしてやると仰らなかった。
八百表の徳を授けると仰せられた。ね、それこそ使うて減らぬ金百両であります。
ね、合楽では金庫が開かれた。ね、願いくるものにそれこそ、つかみ取りのようなおかげが頂かれるというのではなくてです、頂こうという気に成らせて頂いたものの上に表れるのです。
ね、例えば、高橋さんのお宅のお店にいたしますと、最近のこの不況に時代で、十一箇所ですか、九州中に支店がございます。御寿司屋さん、それが非常に最近は赤字の店が多くなってきた。
ね、ところがです、そういうご理解を頂いたその、その日からか、翌日からかでしたか、もう一番赤字でもう、お許しを頂くなら、止めようかと思われておった博多駅前のスターレンの中に出しておられる、立派なお店ですが、その、お店が大変繁盛しだした。
本店から応援を送らねばならんというような、今までかってないような事が起こってきた。
もちろんそれは一時的なことであったでしょうけれども、そのスターレンに、とにかくスターレン自体が、不況になっておりますから、一番下を何か展示会場にするということに、こん、それから話が決まって、そこで展示会に集まってくるお客さんに、食券を与えるという、お上げするというようなことになってきた。
今まで枯れたような店に、何とはなしに活気が出てきたというわけであります。
それから、次々、いままで三福寿司を始めて、こういう注文はかってなかったというような、大きな注文が次々とあるように、目立ってきた、というようなお届けがあっております。
そういう意味のご理解は、お届けはもういくらも頂いております。
こりゃ、なら、商売しよらなければだめなのかというとそうじゃありません。
神様はもう不思議な不思議な働きを魅してくださいます。
先日は、今日もお礼に出て見えました、今日見えておられるか、おられますね、日田のそれこそ日田の山奥というんですけれども、山奥は山奥です。森の上のとにかく、もう山の山の山の中らしい、たった四軒ぐらいしか家がないというわけで、もとはそこの大名のような暮らしをなさっておられた方らしいんですけれども、ね、そこの奥さんから電話がかかってきた。佐田さん所のご親戚なんです。
して電話がかかってきた。それこそ、もう、、思いのかけないところから、郵便局からその通知があった。
二十万円、もう全然その、もう思いもないところから、送ってきた。
ほりゃ、おかげ頂いたと言うて、お礼のお届けがあっておりました。
そしたら、翌日です、それがまちごうとったけんがっかりしてからまた電話がかかってきたと。
ね、皆さん、そういう時がね、がっかりしては駄目なんです。
そん時に佐田の奥さんが言うておられることはです、ね、たとえ一日でも二十万円が思いがけない所から降ってくるようにして頂けたと思えたその喜びを持ち続けなさい、ち。
それがおかげだと、ね、私はおかげを頂くものの心というのは、そういう心だと思うです。
あ、ありゃ、ふが良かったじゃったじゃろう、あん時のおかげはと、いうようなことではいけません。
ね、信心がない者は、そりゃあんた偶然って、ふが良かったと言うてもです、それをおかげをおかげと実感させてもらうということです。
そりゃしもうたの残念だったのうと言うたらそれまでです。
・?という人が、ただその日その日のおかげをいただいておる、その日暮しではあるけれども、お繰り合わせを頂いておるという、それでやれやれと腰掛けておるのではなかろうか、ね、神様が下さろうというなら本気で一つ、頂こうという、いうならば、朝参り的精神とでも申しましょうか、一心発起して、よし頂こうという気になられる、神様が下さろうという気になられる、私が、誰がなんという、誰がどういうおかげを頂こうよりもです、まずは御神縁を頂いておられる皆さんがまずはです、おかげを頂いて下さること、皆さんががまずは、大物になって下さることの願いを立てて、そういう信心をして下さる、皆さんが、ままになって下さるということが、私の願いでもあるのでございますから、ね、私との交流、それこそ山本富士子といえば、ね、いうなら、日本一の富士山をなぞらえた所から、あの山本富士子という名前を付けられたということでございますかが、私もやはり日本一を目指しておるのです。
ね、はりゃ、あんた、あーたんごたあっとがどうして日本一になれますか、という人が、沢山あるでしょうけれどもね、とにかく有り難いという意味において日本一になりたい、こんなら馬鹿でもちょいでもなれるです。
なろうと思うたら、ね、私のような者でもなれると私は確信持ってるです。
とにかく有り難い私にならしてもらおう、大臣にならなん、ね、大将にならなんならんっていうなら、難しいかも知らんけれども、ね、有り難い日本一にならせて頂こうというそれが、私は山本富士子が、いうならば、酩酊しておる姿がそれであったと思います。
酒に酔うておる時には、もう暑いも寒いも感じません。恵城というのは、私の可愛い子供だと思います。
いうならば、皆さんなんです。それをいわば抱っこしながらです、可愛い可愛いをして、そこにひとつの交流が始まるようなね、おかげを今朝からの夢から、一つそういうふうに感じ取らせて頂きました。
どうぞ大きくままになっておる私の姿を、ね、テレビに映そうと言うております。さあ、これからが本番ですよというときに、他所のある方達がちょろちょろしておるから、そのちょろちょろしとる人を、ちょっとのいて下さいとこういっておる。
そして私の、しかも、ね、それこそあのぶりの照り焼きでままになっておるという、おかげをです、皆さんがいよいよ照り輝くようなおかげを頂いて下さるというとにほかならないのです。
私は山本富士子を目指します。私の可愛い、いうなら、ここの三代を次ぐところの、ね、大坪恵城と申しますが、ね、その恵城はそのまま皆さんの姿だと思います。
ね、そしてそれこそ、いうならば可愛い可愛いと抱き上げて、ね、頬擦りせんばかりにしておる、そういう交流を、私は望みます。
ね、どうぞあの、今度のおかげの泉にその辺のところを、大変詳しく出ておりますから、繰り返しお読みになって、それから、またお願いすることでございますけれども、二百部も今余っとるそうですから、合樂示現活動用にも、お使いください。
もちろん自分のうちには、どうでも、息子んとこにも、娘んとこにも送ってあげてください。
ね、そしてあのおかげの泉がいよいよ、合樂示現活動の御用にも立たせて頂くような、おかげを頂いて頂きたいと思います。どうぞ。